こじらせまくり

"夢はでっかく こう描く"

抱えたものの多さに

~高校時代の下書きから~


今日の夢で同級生が閉経迎えてたんですよ、自分でも起きた瞬間「いや…意味わかんねえよ」って呟いてた。前日からその子が「お腹痛い~~!」って騒いでて、翌日の朝、登校してから「ねえ皆聞いて!!!昨日の放課後病院いったの、そしたら閉経してた!!!」ってめちゃくちゃ嬉しそうに報告してて、クラスのみんなで「おめでとう~!!!!」ってその子祝ってた。体育館を飾りつけして、閉経祝賀パーティー。垂れ幕には「○○ちゃん閉経おめでとう!」と書かれていて、校長から記念品贈呈。閉経を祝うな閉経を。


そんなこんなで()もうすぐ、高校を卒業します!!!もうすぐって言ってもあと5か月だけど「そんなのもうすぐだよ~」って先生が言ってたのでもうすぐ私は卒業です。きっと、おはようよりもさきに「一昨日のしやがれのにのあいみた???????」って教室に転がり込む登校もなくなって、放課後保健室にいってこっそり先生と、美味しいクッキーを食べながら最近あった面倒だったことを話す時間もなくなってしまう。きっとじゃなくて、絶対的に。
箸が転がっても泣いてしまう年頃になってしまいました。


生徒会の役員としての最後の仕事も終わって新しい子たちに引き継ぐ時、自分でもびっくりするくらい泣いてしまった。
生徒会の仕事なんて行事の運営だったり挨拶運動だったり、全校朝礼の司会だったり、交流会に行ったり、たまに生徒の前で挨拶をしたり、先生たちに協力をお願いしに行ったりとかだけだった。
なんで入っちゃったかな~とか、早く終わんないかな~とか思ってたし、特に何の思い入れもないはずなのに。
でも、後からよく考えてみたら、朝早く体育館に行ってマイクや演壇の準備をするとか、毎週あの狭い生徒会室に集まってご飯食べながら企画練るとか、今まで当たり前だったことがなくなってしまうことが寂しくて泣いてしまったんだな、と思った。後輩から「生徒会の先輩方が裏でしっかりと支えて働いてくださっているから、一つ一つの行事が忘れられない最高の思い出になったし、この学校に入学してよかったと思っています」って言葉を貰い、とっても嬉しかった。朝早く来なくていいんだな、空調が壊れている生徒会室でご飯食べなくていいんだなと思うと嬉しい反面、可愛い後輩や同級生、先生と生徒会としての接点がなくなるのは寂しい。


最後だから、文化祭も頑張った。クラスみんなで劇してグランプリを獲ることができた。生徒会名義でつくったエンドロールは、ここぞとばかりに嵐の曲しか使わなかった。万年文化系の私にはきつい持久走大会も、去年100位以下だったけれど今年は40位になれた。勉強も頑張ったし、大学にも受かった。


怒られたこともあったけど、それ以上に楽しかったし褒められるし、したい事も思う存分させて貰えた。だから、この学校が本当に大好きだし、入学してよかったと本気で思っている。「家に近いから」って理由で志望した中3の自分に拍手。


なんでも別れは寂しい。






~ここから現在(雑記)~


最近、徐々に、私からジャニーズが離れていってしまっていた。いや、ジャニーズが離れていく以前にいつ私の近くにいたんだって話なんだけど、なんだか本当に私なんかどうでもいいんだって感じで私から離れていく感覚があった。だからって、悲しんで嘆いてまた追いかけるわけでもなく、ただただ普通に私もいろいろなことに追いかけられながら大学生活過ごしてて。変な感覚しかなかった。二宮くんがテレビでしてた話、癖や仕草、表情、衣装、、私が見れる範囲の二宮くんは全部見てやるとか意気込んでいたあの頃が懐かしくてしょうがない。今なんて、「あ、嵐新曲出したんだ」とか「ライブ申し込み明日からか~」って感じで、高校時代、休み時間の教室でスマホをいじって情報の詳細をチェックしないと気が済まなかったのと違って急にどうでもよくなってしまった。あんなに二宮くんの熱愛報道で舞い上がってしまって、好きなブロガーさんたちのブログ片っ端から読んで感化されて、同じような内容書いてしまうような熱があったのに。(ブログは消去済みです、当時参考にしたはてなブロガーさん、似せた構成になってしまって本当に申し訳ないです。)東名高速上りが渋滞してる、っていう情報を沖縄にいるときに知ったときくらいどうでもいい。

嵐が当たり前にいることの贅沢さに、奇跡に慣れて、その上に居座ってしまっていた。

高校のころは周りがほとんど女子で、同年代の男の子と話す機会もあまりない環境だったからこそジャニーズにはまっていたのかもしれない。いや、ただ、年上のかっこいい男性だから、惹かれていた部分もあったのかもしれない。

小学生から高校、今までずっと私の思い出の中には嵐の五人が散りばめられている。嵐が生まれた年から、私は生きているし、嵐がデビューした月くらいから、私はハイハイしてひとりで好きなところにいけるようになった。嵐は、平成と同じくらい、あって当たり前の存在だった。
そんな、嵐が活動休止を決めた。
きっと、疲れたのかな、初めて聞いた時思った。
でもそうではなくて、ただ、自由な生活がしてみたいという智くん発信の、5人が決めた決意だった。国民的アイドルとして走り続けた20年、1回止まってみても、振り返ってみる時間があっても、好きなことする時間があっていいんじゃないかっていう意味の休止。
いいんじゃないかなあ、と思った。今まで突っ走ってきてたし。でも、少し怖い。いつだって、当たり前にどこかには嵐がいて、活動は永遠に続いていると思っていたから。嵐のない生活がどんな感じなのかわからない。

会見を見て、あ、悲しさはないな、と思った。突然だれかがやめてしまう訳では無いし、2年間ファンがこの5人の決意を受け入れる期間まである。二年間もあれば、理解してもらえると思っているのだろうか。正解であるとは思うが、少し間違っていると思った。ファンひとりひとり意見はあると思うけど、少なくとも私は、とにかく5人が笑ってくれていればそれでいいなと思うし、理解するのに2年間はいらない。何時間かのあの、笑いがこぼれる会見だけで十分に受け入れられたし、休んでほしいなと思った。私と嵐が少し離れていた時間があっても、この人たちはいつでも私の好きな5人だったし、久しぶりに五人並んで話すのを見て、変わらない姿が嬉しかった。今まで、当たり前でいてくれてありがとう。二宮くんが相葉くんに優しく声かけるのも変わらなくて、静かに翔くんが怒りを抑えてる姿も、らしいなと思った。UBの説なんて、本当に二宮くんがしそうなことだ、どこまでも二宮くんは、私のすきな二宮くんだなと思った。相葉くんが椅子からひっくり返っちゃったってときに翔くんが突っ込むのもらしいし、キラキラしている時期に終わるのもありだと思っていて、と語る潤くんがいて、リーダーの提案に驚かなかったというのも、潤くんらしいなと思った。なんで休止するって会見で嵐の良さ再認識しちゃって、熱量増加しちゃうんだ、まったく…嵐がずるいのは、そういうところだ。

智くんは、きっと自由な時間の方が楽しくて、活動しようという気にならないんじゃないかなと思ってしまう。だって彼は居心地いいと思ったらずっとそこにいちゃうタイプだと思うから。嵐であることより居心地の良い場所見つけたときを思うと、寂しくもある。嵐はやめたいけど、5-1=0だし、嵐を消滅させたくないから休止という、かたちだけ、とったんじゃないかとさえ思ってしまう。だから、本心では、お休みというより別れじゃないかと密かに思っている。戻ってこないから、永遠に活動休止だというスタンスでいようとも思う。きっと、五人揃ってメディアに出ることは無い、と。2020年は嵐との別れの年である。事態に備えて、そう考えておかないといざと言う時の心臓がもたない気がする。


なんでも別れは寂しい。


もし、また五人で、嵐として活動してくれるなら、嵐が嵐のこと好きすぎるんだよなあ、って笑って、またついていきたい。イエモン復活のように、また、青春の続きができる、と思うんだろうなと思う。


一つの青春が止まってしまう2020年まで、止まってしまってそのまま静かに終わってしまうかもしれない2021年から、私はどうやって生きてくんだろうな~